プリン物語 吉田菊次郎(プールミッシュ代表・作家)

第1話 プディング誕生

ビスケットが分けた勝敗

 1588年、天下分け目の戦いといわれた英西戦争が勃発する。時あたかも大航海時代の流れをくむ重商主義の時代である。海上の覇権争いに加えて、新教と旧教というイデオロギーの対立も重なり、両国は威信をかけて真っ正面から向き合うことになった。攻め上るスペイン軍は無敵艦隊と称された艦船130に3万人という陣容である。これではいかにイギリスが新興海軍国にして勢いがあるといっても誰の目にも勝敗は明らかである。
 ところが、船に積む食糧には限りがあり、3万人にその都度、食を供給することは容易ではない。一方、イギリス軍には大量のビスケットが積み込まれていたという。これは場所をとらず日持ちがし、兵糧としては最適なものといえる。食糧に何の不足もないイギリス軍は、大敵を向こうに回しながらも存分な戦いを挑むことができた。そして皮肉なことに、スポンジケーキという進んだ食べ物を生んだ国が、ビスケットぐらいしか持ち合わせていなかった国に敗れてしまった。ちなみに、そのビスケットは、今もティータイムの習慣のなか、この国を代表するお菓子として生き続けている。
 さてこうして、地球上に太陽の没するところがないとまでいわれたスペインは、食糧の準備不足で沈み、替わってイギリスが七つの海を制覇していくことになる。
 ところが今度は、かつてスペインが体験したと同じことでイギリスが悩んでいくことになる。すなわち船上における食糧問題である。
 困り抜けばなんとか生み出されるのがアイディアだ。ここに窮余の策として、ある試みがなされた。かくいうプディングの誕生がそこにある。

船乗りの知恵

 食糧は豊かにあればそれにこしたことはないが、それでなくても狭い船内、そうもいかない。よって航海中は、ともかくあるものでしのぎ、切り盛りしてゆかねばならない。そこが料理人の腕の見せどころであり、シェフは船長の次に権威あるといわれるゆえんでもある。
 さて、いかなる名シェフといえども、手がける料理が常に量目寸分の狂いなく仕上がるわけではない。わずかな余りものとて、船上においてはこよなき貴重品である。そこである時考えた末、パン屑や小麦粉、卵といったあり合わせの材料を、ひとまとめにして味つけし、エーイままよとナプキンで包み、ひもでくくって蒸し焼きにしてみた。しばらくしてほどいてみると、何とか形状保った食べものらしきものになっている。彼らはこれにさらにチーズなどをふりかけて口にしたらしいのだが、やってみるとまんざら捨てたものでもなかった……。
はっきり、いつ、どこで、誰がという記録は残っていないが、これがプディングの始まりであったという。言ってみればプディングという食べもの、船乗りたちの生活の知恵から生まれたものだったのである。
 こうした蒸し焼きの手法による調理は、その後、海を降りて、徐々に一般家庭のキッチンにも入り込んでいった。そして、次第にヴァリエーションも豊かになり、牛乳や卵で作ったなじみの深いカスタード・プディングをはじめ、種々の形に変化していった。
 たとえばイギリスのクリスマスでは、われわれが接するクリスマスケーキの代わりに、フルーツやナッツをたっぷり加えたプラム・プディングが食されている。また米を入れたもの、パンを加えたプディング、あるいは料理の範疇ともいえる塩味のものなど、その種類もなかなか多岐にわたっている。

第2話 プディングは国策菓子にもなる?

 プディングといえば概ねがカスタード・プディングを想像されようが、その実、いろいろな種類がある。たとえばお米使用のこんなものも……。
 英語でいうライス・プディング、フランスではプディング発祥の国イギリスに敬意を表してか、英語をそのまま借りてプディング・オ・リ(pudding aux riz)と称しているデザートである。
 どうもわれわれの感覚からすると、お米イコールご飯のイメージが強く、和菓子の世界ならともかく洋菓子の分野では、それを素材に用いるなどなかなか思い浮かばないところだろうが、現実にはけっこう広く親しまれているものだ。
 お米は、そのまま入れてもおいしくない。まず充分に柔らかくなるまで茹でる。つまり、アルファー化しておくわけである。そして、そこに沸騰した牛乳を加えてさらに煮る。"エッ! お米と牛乳? "とけげんな顔をされる方もおられようが、なに、ご飯にベシャメルソースをかけたドリアにしても似たようなもの、驚くほどのものでもない。で、今度は火から降ろして、ラム酒やレーズン、卵等を入れて混ぜ、型に詰めて焼く。
 おいしいかどうかの基準は、あくまで慣れの問題。うまいと思えばけっこういけるし、そうでない方はそれなりに……。ただ、今すぐ商品になるかというと、いかがなものか。多くのお菓子屋さんが知っていながらあまり積極的に扱っていない現状を見ると、正直なところそのままでは少し無理があるのかもしれない。
 その他、いわゆるカスタード・プディング状のものにお米を混入した、リ・ア・ランペラトリス(riz a l' imperatrice)や、米入りディプロマート(diplomate aux riz)など、探すといろいろあるものだ。
 いつの日か、日本でこうした類のお菓子が大流行を見たら、政府のお役人たちは泣いて喜ぶに違いない。なにしろお国の倉庫には、古米、古々米あり余り、なお増え続けて消化のメドもたたぬとか。

第3話 プディングの日本上陸

 今日、日本の甘味世界を眺めるに、ショートケーキとシュークリームにプディングを加えて洋菓子の御三家というのだそうな。それほどに日本人に好まれるこのお菓子、わが国へのお目見えはいつごろだったのか。
 詳しい記述があるわけではないが、おそらく幕末にはすでに紹介されていたものと思われる。なぜなら、そのころはすでに外国人によるいくつかのホテルがつくられており、たとえばイギリス人によっても文久二年(1862)にクラブホテル、翌年にはアングロサクソンホテルといったものがつくられている。イギリス人の経営となれば、他はともかく、自国の代表的なデザートは当然手がけていたと考えてもおかしくはない。
 また同じ年、前田留吉なる人物がオランダ人のもとで搾乳法と牧畜法を身につけており、慶応三年、彼は横浜で牧場経営を始めている。材料面からみても環境面は整ってきている。明治三年には、大膳職の立場にあった村上光保が、国命により横浜のサミュエル・ペール(おそらくピエール)というフランス人の営む西洋菓子店に出向した。フランスでもとうの昔にプディングは取り入れられており、このことから推すに、彼はそれを手がけた邦人第一号と推測することができる。
 ただ一般に普及するにはまだ間があり、記録にはなお出てこない。はじめて確認できるのは、筆者の手元にある明治22年刊の『和洋菓子製法独案内』である。ここに「パンバタプリン」の記述がある。いわく「麺包(パン)を薄く切り、牛酪(バター)をつけ鉢の中に並べ、牛乳一合と玉子二個とに砂糖を……」と、まさしく今日言うところのパンプディングをほぼ正確に紹介している。他に「ライスプリン」、「レモンプリン」の記載もある。この頃からすでにわれわれは耳からの音で、「プリン」と聞きとっていたようだ。
 さらに明治37年の村井弦齊著『食道楽』では、「カスタードプデン」「米のプデン」「ジャミ(ジャムのこと)プデン」「マカロニプデン」「珈琲プデン」、加えてジャガイモやサツマイモの、となんでもプディング仕立てにしてしまっている。一度なじみ出したらその後は速い。一気に広まっていった様子が手にとるように見えてくる。

第4話 永遠のベストセラー

 ショートケーキ、シュークリームにプリンを加えて、日本の洋菓子の御三家とか。なるほど、これがきらいな日本人はいなさそうだ。ならば、これにモンブランを加えて四天王、チーズケーキ、チョコレートケーキ、エクレア、ゼリー、バヴァロア、ムースで十傑か?
ともあれ、これらが洋菓子店の定番商品。そして、こうしたものをベースに、その時々の流行りの品が加わって、その都度お客様を喜ばせている。
 さて、その御三家だが、よく人からその呼び名の由来を尋ねられる。ショートケーキは、本来“サクサクした”という意味で、クッキー状のお菓子を指す語だが、どうしたわけか取り違えられてフワフワのお菓子を指すようになってしまった。シュークリームのシューは、ご存知のごとくフランス語でキャベツのことで、ボコボコッと膨れた様子がそれを表わしているところからの命名だが、それに英語のクリームをつけてしまった仏英混合の和製外語。また、プリンはプディングの発音のなまったもので、耳からの音の表記で、こう呼ばれるようになった。
 ところで、いろいろなものが流行るといったが、いつぞやティラミスの後を受けてクレーム・ブリュレなるものが脚光を浴びたことがある。あれも、御三家の一翼を担うプリンの仲間。プリンが全卵で作られるのに対して、これは卵黄だけ。プリンは牛乳を使うが、こちらは生クリームを用いる。いってみれば“ぜいたくなプリン”といったところか。
 そして、これと相前後してオハヨー乳業の焼プリンが登場、コンビニ界の話題をさらった。本来、プリンは焼いて作るもので、あらためて焼プリンというのも妙な話だが、ゲル化剤で固めたものが主流だったこのマーケットで、新しい切り口が新鮮に映り、人気を集めたのはご存知の通りだ。
 こうしてみると、形や打ち出し方にいささかのヴァリエーションは求めれど、プリンはわれわれにとって永遠のベストセラー商品のようである。

よしだきくじろう○1944年東京生まれ。1970年渉仏。パリの有名菓子店、スイスの製菓学校等に修行し、数々の国際賞を受賞。著書多数。
※プリン物語は1998~1999の間、オハヨー乳業広報誌SALUTに掲載されました。

【オハヨー焼プリンの唄】
※音が鳴りますのでご注意ください。